先日リリースされたPS4独占タイトル(時限)として、
一気に話題をさらったDEATH STRANDING:デス・ストランディングですが、沸き立つ業界の中でひっそりと不穏な動きが起きていました。
それはMGS2の頃から小島氏を支え続けた、今泉健一郎氏のコジマプロダクションの退社です。
外部から見ても、懐刀と呼ぶに差し支えの無い人物の袂別。
決して明るいニュースには思えませんね。

今泉健一郎氏とは

コナミ時代から小島氏と共にゲーム制作に従事してきた旧友であり、その経歴は、
- Metal Gear Solid 4:Guns of the Patriots
- Metal Gear Rising:Revengeance
- Metal Gear Solid V:The Phantom Pain
上記三作でのプロデューサーを務めたというもの。
更にコジマプロ創成にあたっては立ち上げメンバーを務め、名実ともに幹部クラスと言って差し支えない人物でしょう。
このような重要メンバーが、デス・ストランディング発売直後に退職したというのは、果たしてどのような意味を持つのでしょうか。
なぜ今泉氏は退職したのか?

videogameschronicle.comがコジマプロ、また今泉氏両名に真相を尋ねたところ、彼らはどちらもノーコメントを貫いたそうです。
健康上の理由や、家族へのトラブル。
退社の理由とは人によってさまざまですが、その多くは人間関係や給与面での不満、または社方針との不一致であることは我々には身近です。
また大作のリリース直後という絶妙なタイミングが、より一層の疑念を我々に抱かせます。
デス・ストランディングを巡る諍いがあったのか?
退社後もデスストランディングへ対して好意的なツイートをRTするなど、表面的な不和は見られません。
しかし注目すべきはデス・ストランディングがリリースされる以前にも、小島氏のプロモーション活動に彼が帯同していなかったと報じられている一面。
以前と異なる活動からも、これらは一種奇妙であると関係者からは見られていました。
つまり邪推するならば、彼がデス・ストランディングというゲームに対して小島氏と方向性の乖離を見出した、というシナリオが見えるでしょう。
デス・ストランディングの評価:クソゲーなのか?

レビューサイトが100点満点を連発する一方で、初週の売り上げ初動は18万本と芳しくないものになっています。

これはほぼ同時期のリリースであったペルソナ5 ザ・ロイヤルが20万本であったことを考えると、かなり物足りない数値です。
この数値はDL版を含まないものですが、デス・ストランディングだけが突出してDL版の売り上げが多いという見方は贔屓目すぎると思われ、実態はさほど変わりないと思われるでしょう。
また二週目も3万本程度と、猛追の気配も見えません。
肯定的意見
- 躍動的で感動を呼び起こすストーリー
- 延々とやめられない配達中毒
- 美麗なグラフィックス
肯定的な意見としては、独自の世界観で繰り広げられる躍動的なストーリーを絶賛しています。
またリアリティに溢れた最高峰のグラフィックスで、無限に広がるオープンワールドを駆け巡る配達。
あえて作り出された不自由なシステムに、虜にされる人が後を絶たないようです。
否定的意見
- 70%のムービーと30%のゲームプレイ
- 無味無臭な荒野を延々お遣いで走らされる苦痛
- プレイヤー置いてけぼりの飛躍シナリオ
否定的な意見としては、あまりにも長いムービーを嫌うものが多いです。
また昨今、オープンワールドシステムが人々に飽きられ始めているのもひとつの要因でしょう。

広大な大地を見たプレイヤーは初め感動し、その後数十分で疲れ始める。
デス・ストランディングの世界もそれは免れず、特色の無い無人の荒野をたったひとりで駆け巡ることに飽き飽きしている人は多いようです。
小島氏は映画とゲームを融合しようと試みている

ゲームはインタラクティブ(双方向)のものなので、映画とは180度違うものです。しかし将来的にはストリーミングなど同じ場所に集まるはず
この発言や、今作で用いられたノーマン・リーダス、マッツ・ミケルセンの完全再現CG。
こうしたものに加えて、後年のメタルギアシリーズでどんどん肥大化していったムービーシーン。
彼が制作したいものが、すでにゲームそのものではないことを薄っすらと我々に感じさせています。
また今後、映画作品を制作したい、とBBCへ向けて答える場面もありました。
デス・ストランデイングは、コントローラ入力のある映画。
こうした捉え方をすると、驚くほど腑に落ちるはずです。
私見:ゲームと映画は同じステージに立つのか?
共に映像系のプラットフォームであるという共通点はあるものの、この論理は飛躍気味でしょう。
映画館でコントローラを握ってVRゴーグルをかける時代が来るでしょうか?
映画に対して操作性を求めたことはあるでしょうか?
またゲームに対して、映画的な寄せ方をしていくのも疑問点です。
我々にとってゲームの楽しみとは、
- 昇龍拳を素早く出せた時
- 初めてイヤンクックを討伐した時
- 新たな篝火に辿り着いた時
こうしたミクロに宿ります。
そこに、シネマティックな演出や大仰なギミックは不要なのです。
結論:クソ”ゲー”ではない
デス・ストランデイングはクソ”ゲー”ではないでしょう。
これはすでにゲームの範疇を一歩越えて来た、新たな分野の映像作品です。
その事実を確かに受け止められる人にとっては、最高の体験を得られるものになっているでしょう。
しかしゲームというものに対して、昔気質な成功体験を求めるユーザーにとっては、決して受け入れられるものにはなっていないでしょう。
今泉氏の真意は不明

コジマプロ側がノーコメントである以上、全て推測の域を出ません。
しかし彼らの中に何らかの確執があったと考えるのが、デス・ストランデイングの現状からも自然な流れと思われます。
人々へ繋がりを訴えながらも、大事な懐刀との繋がりを喪失した小島氏。
今後の動向が注視される一件でした。
コメント
求めるジャンルにデスストが当てはまらなかっただけの話